tongue twister のブログ

平成27年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(笑)(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

祝杯 : 340

6月2日(金)   晴  退院して649日 / 手術から731日


夜半から雷鳴が轟き、
一時的に強い雨が夜中に降ったようだが、
今日は
昨日の少し蒸す真夏日がうそのように風が涼しい。




ここ数回、
1度目、2度目の手術後のことを書いているが、
その頃はある確信に近いものがあった。


たとえ手術でがんをうまく取り除けても、
その後抗がん剤や放射線などの
追加治療は必須なんだろうなと。


また自身のがんの進み具合からも、
再発転移はかなりの高確率で免れないであろうとも。


それはがんセンターの医師が、
初見の段階からそう思っていたし、
手術がうまくいった後も
取り去った組織の病理検査の結果が出るまでは
そう予想していたことだ。



だが、
いい意味で大方の予想が外れた。


患部にできたがんそのものは
Stage Ⅳと判定を受けた長辺7センチにも及ぶ非常に大きなものだったが、
一方でその性質は
リンパにさえ影響していない、
浸潤しにくいおとなしい性質のがん細胞であったのだ。




故に、昨日
Dangerous Zone と言われる術後2年を、
何事もなく経過することができた。



ああ、
この幸運を
だれに
どう感謝すればよいのだろう。




だから
今夜は、
祝杯を挙げに
外へ繰り出すのだ。


ちょうど2年前 : 339

6月1日(木)   曇  退院して648日 / 手術から730日


一昨年の今日、
朝の診察で
あまりにも突然の緊急手術決定。


前の日、術後4日目で
お医者さんと看護師さんの力を借りて立ち上がり、
歩行器にもたれかかるようにして必死になって
廊下を隔てた真ん前の診察室へ歩いて行けたというのに、、、。


舌のあったところに移植した腹直筋による皮弁に
血が通わなくなり、
せっかくの再建舌が壊死を起こし始めていたということだった。


術前説明で
約10%の確率でそういうことが起こりうると聞かされてはいた。
しかしまさかそれが自分に起こるとは、、、。



また手術と聞かされ、
その意味を理解するのに少し間があった。
そして不覚にも
熱いものが一筋二筋頬を伝い流れた。


だが周囲で医師や看護師らが慌てて準備する様を
なぜか冷静に眺めていられたのは、
もう半ばやけくその心境だったからか。


見送る看護師さんたちに手を上げてバイバイした。
せめてもの空元気。



手術で中心となる形成外科の先生が
「つらいね。
 センタのー最高の技術とスタッフで頑張るからね」
と励ましの言葉をかけてくださり、
頭頚科の看護師さんが2人、
手術室の入り口までついてきてくれ
いろいろと声かけをしてくれたことがとてもうれしかった。



この2回目の手術が13時間。


目覚めると
また恐怖のあのICUだった。


術後4日目の頃 : 338

5月31日(水)   晴曇  退院して647日 / 手術から729日


2年前の今日、
手術から4日目。


それより10日ほど後に
もう少し元気になりかけてから記憶を頼りに書いたメモから。



・両側を医師や看護師に支えてもらいながら
 初めて歩行器を使ってよたよたと診察室へ行く。
 こんなにも弱ってしまうものかと茫然とする。
   とにかく息が苦しい。
 
・朝と昼過ぎの2回、
 医師3人と看護師2人についてもらって数分歩く。  
 頭が上に上がらず、歩行器にもたれかかる状態。
 先生に「頭を上げて」と言われるが上がらない。
 ゆっくりと足を1歩ずつ出すのさえ呼吸が苦しく、
 途中で何度も休憩して息を整える。


・首、肩、腕等猛烈な強ばりが辛く、
 寝ても座っても楽な姿勢というものが見つからない。


・目の焦点合いにくいのと、
 腕と肩の強ばりがつらくメールを打とうとするも断念。


・眠剤を使っても昼夜を問わず眠れず、
 消灯後の夜がつらい。



心身共に限界に近いツラい日々が続いていたが、
1日ごとに確実に楽になっていくのだと
自ら言い聞かせて堪え忍ぶ毎日だったが、、、、。



この翌日に
信じられないことが起こるのだった。