tongue twister のブログ

平成27年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(笑)(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

目の診察日 : 348

6月14日(水)   晴  退院して661日 / 手術から743日


今日は眼科通院日。


5月10日に「網膜円孔」のレーザー凝固手術を受け、
今日はその後2度目の経過観察の診察。


瞳孔を大きく広げる目薬を入れて待つこと20分。
十分に広がったところで診察。
スリットランプの明かりが眩しい。


「新しい穴も開いてないし、いいですね」
とのこと。


次の診察は2ヶ月後の8月9日だけれど、
その前に7月12日はがんセンター。



がんセンターといい
この眼科といい、
こう毎月毎月決まって通院するなんて
まるで年寄りみたいで、、、。



せめて
もう当分は
新たな病気はご勘弁 (o_ _)o



術後2年の今を総括する : 347

6月11日(日)   晴時々曇  退院して658日 / 手術から740日


2度の手術と
4ヶ月の入院を経て、
そしてついに
Dangerous zone とされる術後2年がどうにか無事に経過した。


一つの区切りとして、心身の回復を冷静に見つめてみる。



〇 見た目
  ・左右耳の後ろから顎下へと続くリンパ節郭清の傷跡
   正面からは下からのぞき込みでもしない限り見えず、
   横からも注視しないと見逃してしまうくらいか。
   自身でも、他人からの視線を気にすることはほとんどなくなった。
 ・ 喉の手術痕と気管孔の傷跡
       2度の手術のせいか、かなりのケロイドとなり、
     目立つこともあって外出時はスカーフで隠すことが多かった。
   それで昨夏、手術の1年2ヶ月後に担当医のすすめもあって
   がんセンターの形成外科で手術。
   おかげで正面からでもよく見ないと気づかない程度になっている。
   気管孔痕もほとんど目だたない。
 ・ 皮弁を採取した右足太股の傷
   色はだいぶ落ち着いてきたかもしれないが、
   この長辺約20センチ、短辺15センチの楕円状の傷は、
   いまだに醜い。
   温泉には入る気がしないが、
   もともと温泉はそう好きでないのでよしとしよう。
   筋膜がないので衝撃に弱く、
   少し前に調子こいてサッカーボールを思いきり蹴ったら鈍い痛みが数分続いた。
  
〇 会 話
   退院してから半年くらいは、
   電話や宅配には居留守を使い、話すことが必要な買い物も控えていた。
   今では電話で話しもするし、どこででも話すようになった。
   ただ最初に、「口の中を大きな手術してうまく喋られないのです」
   と最初に言うようにしており、その方がこちらも相手も気が楽である。
  
      舌根部5分の1を残すのみでほとんどを失っているわけだから、
   当然明瞭な音にはなりにくく難しい音もあるが、
   半年とか1年ぶりに話をした人は、とても進歩したとほめてくれる。
      お医者さんと周囲が、そしてインド人も驚くおしゃべり具合だ (°0°)
  
  「ちゃんと聞いてやろう」という気持ちをもっていただけば、
   ほとんど通じていると思う。
     そして、まだ伸びしろはあるとも考えている。


〇 食べること
   一時は胃ろうまで造設し、
   下手したらずっと口からの飲食は難しいのではと悲嘆に暮れていた人間が、
   今は何でも食べ、そして食べられないものはない。


   術前術後に医師からも、
   食べられるようになるだろうが、食べ物の形態は選ぶだろう。  
   飲み込みも、鵜飲みのように上を向いて落とし込むようなことも必要で、
   固いものは無理だろう、
   むせることが多く嚥下ミスで肺炎を引き起こすことも、、、、等々。


   え~い、あつかましいわ!!
   そんなことはいっさい無いのだ!!!


   ただ前述したようにベロがなく再建舌は動かないのだから、
   食べるのに時間はかかり、健康なときの3倍は要する。
  
   それでも食べにくいものにも挑戦し日々格闘を続けたおかげで、
   今では食べるのが遅い女性および小学3年生には勝てるくらいには回復した。


  そして味覚感知に関しては、味により正常時の40~60%ほどか。
      味覚に関してはたまにさびしく思うこともあるが、
      薄味にも徐々に慣れてきた。
   なにしろ口から食べられて、味覚も感じられるという、
   食の喜びが残されたという事実の前では、
   少々の味覚障害などなんともない。


   退院して半年ほどは、食事は気が重かった。
   メシのたびにイライラしながら汗かいて食っていたことが
   今では嘘のようだ。


      そして食に関しても、
   まだまだ進化発展できると思っている。


〇 感覚麻痺・突っ張り感
       体にメスを入れるということは、
    やはりよくないのだと、術後2年経ってもしみじみと思う。


    神経を傷つけないように注意を払って施術していただいているのだろうけれど、
      それでも傷つく神経がある。  
    メスの入った耳の後ろからえら、首、
    そしてメスの入っていない肩や鎖骨あたりも。
        皮弁を採取した太股の傷周辺、、、その他が感覚がない。あるいはかなり鈍い。
 
    これも神経が傷ついたことによるのだろうが、
    両肩の竹の棒でもいれられたような異様な突っ張り感は
    あまりよくなっていない。


        感覚麻痺と突っ張り感は
     気にすればかなりのものだし、やっかいだ。
     しかし、もう慣れた。いや、慣れたと思うようにしている。
     その方が気持ちが楽だし、気にしないでいられる。
     だいいち、生活に支障ないからいいのだ。

〇 気持ち
   退院して6ヶ月ほど、自宅で心身のリハビリの日々を送った。
   ストレスを避けて免疫力を上げる、
   という意味においてはとても大切な充足期間だったと思う。
   
   でも、家にこもっていると、
   やっぱりいろいろ悪いことばかりを考えてしまう。


   去年の4月から、多少の無理をしての職場復帰。
   仕事のストレスは多くあるが、
   それよりも社会復帰して足手まといになりながらでも
   ほんのわずかとはいえ自身の存在価値を見いだせることによる充実感は、
   何事にも代えがたい。


   そしてその充足感が、
   再発や転移に対する恐れを紛らわせ、薄めてくれる。


   そりゃ不安はある。
   でも今では
   不安だからといってくよくよしたり落ち込んだりすることはない。


   背負ってしまったおしゃべりや食のハンディキャップに
   悶々と悩み苦しんだ時期もあった。
   
        海に沈む夕日に向かって、幾度バカヤローと叫んでやろうかと思ったか。
   まあ、うまく叫べんのでやらんかったが (^Д^)
   
   
        だが今はそれらの不安やハンデに深く悩むこともなくなった。
         
   ありがたい、ありがたい。
     おかげさま。


   顔上げて
   顔晴る。
   
   
     だって元気に生きてるんだもの   by T



術後3週間目のころ : 346

6月9日(金)   晴  退院して656日 / 手術から738日


2回目の緊急手術から約3週間後の6月23日、
6月10日から続いていた抗生剤の点滴がやっと中止になった。
手術での喉の傷が感染症を起こしたための治療であったが、
1回1時間の点滴を
毎日1日4回。


これがなかなかのストレスになった。
動きが制限されるし、
なにより、痛みは一瞬のこととは言え
毎日4回も同じようなところに注射するのは嫌になる。
それ以外にも3日に一度は採血があったり
よく訳のわからん注射もあった。


あまりにうっとうしいので、
看護士さんが部屋から出て行くと
勝手に点滴の速度を速めていた。
だから、
感染を示す数値が下がり
抗生剤の点滴が終了することになって、
自由に動ける身となり本当に晴れ晴れとしたうれしい気分になった。



この頃
術後3週間経っても、
まだまだエラから頬にかけての腫れがひどく、
人前で顔をさらしたくなかったので、
病室のあるフロアー以外へ行かなかった。



点滴が中止になったこの日、
手術後体が楽になったら見ようと持参していたDVDを見た。
小津安二郎監督の「東京物語」
けど、その内容のあまりの切なさがたまらなくなり、
途中で見るのをやめてしまった。



そんなこんなの
術後3週間目ころ。