そうする理由 : 1033
11月24日(木)晴 退院して2671日 / 手術から2753日
南に向いた和室の畳に寝そべり、読書三昧。
縁側のレースのカーテン越しに、柔らかく心地よい日差しが射し込む。
ここ数年、小説はあまり読む気にならなくて、
もっぱらエッセーばかりを好んで読んでいる。
少し前に、同郷の若い女性が芥川賞を受賞し何かと話題になっていたが、
若いときならまっしぐらに書店へと急いだだろうが、
今はまったく食指が動かない。
虚構世界に興味を失いつつあるということが
老化がもたらす変化のひとつであるとするならば、
詮無いことながら、そこはかとなく哀しい。
そんな中、今読んでいるのが『死ぬための生き方』
ある程度の老境に達したときに読もうと若いときに買い求めていた本だ。
発行年を見てみると、平成3年とあるから30年以上も前だ。
表紙はとうに色褪せ、中身も全体にセピア調に変色している。
人は生まれたその瞬間から死に向かって歩み出している。
だとするならば、
死を語ることは生を語ることに等しい。
そして、どう逝くかは、どう生きたかに依る。
死について思うことは、
どう生きるかという難解で壮大な問いに、
なんらかの示唆を与えることになるはずだ。
と、小賢しくも小難しいことを書き連ねているが、
何のことはない。
その本を読む理由ははっきりとしているのだ。
敬愛する先輩の死が、
そうさせているのだ。
先輩のように生きることは到底叶わぬことだけれど、
その悲しい別れをきっかけに、
必ず訪れるその時に向けて
ほんの少しだけ自身の死について考えてみたいと思ったのだ。
逝って早ひと月になろうとしてるが、
いまだその厳然たる事実を冷静に受け止めきれないままでいる。