終盤戦にこそ : 837
6月19日(水)晴 退院して1398日 / 手術から1480日
花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。
雨に対ひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。
咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。
(桜は満開の花盛りを、月は曇りのない澄み渡った月だけを見て楽しむものだろうか。
雨が降る中で月を恋慕い、簾を垂れた部屋にこもって春が暮れてゆくのを知らずにいるのも、
やはり情趣の深いものだ。
今にも花が咲きそうな頃合いの梢や、花が散りしおれている庭などの方が、見る価値が多い)
過ぎ去ってしまったことや未完で終わったこと、
変化してしまったこと、はかなく潰えたこと。
不完全なものにこそ美を見い出す。
これこそが、『徒然草』の美学であり底流を貫いている思想だ。
「散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ」
そう言えば、肉だって、腐る手前がいちばん美味しいと言うではないか。
だとするならば、
不完全だらけの我が人生の終盤戦にこそ、
見どころ多く生きるに値する面白みが多いということか。
兼好法師が言うのだからきっとそうなのだろう。
俄然、迫り来る我が老境への期待感が高まってくるではないですか!