tongue twister のブログ

平成27年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(笑)(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

術後3週間目のころ : 346

6月9日(金)   晴  退院して656日 / 手術から738日


2回目の緊急手術から約3週間後の6月23日、
6月10日から続いていた抗生剤の点滴がやっと中止になった。
手術での喉の傷が感染症を起こしたための治療であったが、
1回1時間の点滴を
毎日1日4回。


これがなかなかのストレスになった。
動きが制限されるし、
なにより、痛みは一瞬のこととは言え
毎日4回も同じようなところに注射するのは嫌になる。
それ以外にも3日に一度は採血があったり
よく訳のわからん注射もあった。


あまりにうっとうしいので、
看護士さんが部屋から出て行くと
勝手に点滴の速度を速めていた。
だから、
感染を示す数値が下がり
抗生剤の点滴が終了することになって、
自由に動ける身となり本当に晴れ晴れとしたうれしい気分になった。



この頃
術後3週間経っても、
まだまだエラから頬にかけての腫れがひどく、
人前で顔をさらしたくなかったので、
病室のあるフロアー以外へ行かなかった。



点滴が中止になったこの日、
手術後体が楽になったら見ようと持参していたDVDを見た。
小津安二郎監督の「東京物語」
けど、その内容のあまりの切なさがたまらなくなり、
途中で見るのをやめてしまった。



そんなこんなの
術後3週間目ころ。

どうすれば生きやすいか : 345

6月7日(水)   雨  退院して654日 / 手術から736日


ある女性舌がんサバイバーの方がご自身のブログで、
国立がん研究センターの先生の講演について
まとめておられるのを読ませていただいた。


その中で、
がんに罹患した後は、
身体的なこと、精神的なこと、社会的なことなど
多方面に生きにくさを感じるものだが、
そのため
どうすれば生きやすくなるかという話しがあった。
列挙させていただくと、


(サバイバーとして生きて行くことに)少しずつ慣れて行こう。


2 ちょっと自己中くらいでちょうどいい。


3 少し弱音をはいてもいい。


4 使えるものは、何でも、誰でも使おう。


5 さらしてしまえば怖くない。


6 人にすべてを理解してもらうのは無理かも。
    察してもらおうとしないで、気持ちを伝えよう。
   


すべて、なるほどなあと納得。
中でも、1・5・6は特にそう思う。


1は、今の自分を受け入れそういうものだと割り切ること。
5は、隠すのではなく知ってもらうこと。
6は、がん患者であったからと過度の甘えを捨てること。
と自分なりに理解した。



私も、
より立派な?がんサバイバーを目指して、
これからの処世訓として
常に頭の片隅に置いておきたい。

術後のある光景 : 344

6月6日(火)   晴  退院して653日 / 手術から735日


2度目の手術から10日あまり過ぎた頃。
ようやく本でも読もうかという気になり、
入院中に読もうと準備していた文庫本を手に取る。


だが、
その文庫本を顔の上で30秒と支えられない。
首から肩に至る広範囲が、
尋常でない強ばりと突っ張り感。
おまけに何かの影響で目の焦点が合わない。


文庫本が重くて
読書ができない、、、、。



そこでどうしたか?


                  


写真の通りである。


あろうことか、本のおよそ真ん中あたりの頁で
真っ二つに引き裂くという暴挙に出た。


思えば
精神がまだ完全に正常ではなかったかもしれない。


  


仰向けの姿勢でその本を顔の前にして読んでいると、
それを見た若い看護士さんが、
「その本どうしたのですか?」
と聞かれたことを思い出す。



その本は
池波正太郎さんの名著。
「食卓の情景」


口から食べられなくなるであろうことを思っての選択であったか、、、。
  
当時の心境を思うと、
我ながら哀れというか不憫だ。



術後のある光景。