おかげさまで1年 : 294
3月26日(日)曇時々晴 退院して581日 / 手術から663日
退院してから7ヶ月もの休職。
その間自宅で心身の回復に努める孤独な日々があり、
そして昨年4月1日に職場復帰してから
もう数日で1年を終えようとしている。
どうにかこうにか、、、、。
振り返れば、青息吐息の毎日だったな。
再発転移の心配とか、
体力面での不安などもあったけれど、
そんなことよりもいちばん苦しかったのは、
「うまくしゃべれない」ということ。
これはきつかった。
周囲もこちらに気を遣うし、
こっちはこっちでますます遠慮したり。
また、自分は職場で「邪魔な存在かも?」と、
ときには卑屈になりかけたり、、、、。
それまでは職場で中心となってやってきた。
だけどこの1年はいわば窓際のようなもの。
それは職場の配慮と言えばそうなのだけれど、
その何も大きな仕事を与えられずにいる自分というものが
情けなくてつらかった。
今までやれていたことが、
「できなくなった自分」というのを認めることが悲しく、
自身受け入れられなかった。
日々ストレスの蓄積していく
1歩前進2歩後退、のような暗澹たる日々だったが、
だがそれでも夏の終わり頃には、
「できない自分」というものを
徐々に自分なりに受け入れることができるようになった。
そして
日々できないことを嘆いていては
状況をますます悲惨なものにするばかりだ。
それなら、
できる範囲で最善を尽くそうではないかと、
少し前向きに考えられるようになったことで
気持ちがかなり楽になったのを覚えている。
なんやかんやと本当にいろんなことがあって、
精神的に苦しかった1年が終わろうとしている。
終わってみると、
時には卑屈になって嘆くことも多かった一方で、
それなりに自分の存在価値を高めることもできたと思っている。
「自分でなければ」という場面もだんだん多くなってきた。
それも、できないなりにがんばったおかげか。
おしゃべりも少しは進歩した。
来年度は
もっとできそうな気持ちでいる。
そしてもっと自分の存在意義を示したい。
闘病中に気づかされたことは多かったが、
その一番中心にあるもの、、、、。
それは
「感謝の気持ち」
であったはずではないか。
自暴自棄に、
そして卑屈になどなってはいけない。
まずは感謝。
初心忘るべからず。