tongue twister のブログ

2015年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

ふたつの逝きかた : 1073

2月1(土)曇後雨 退院して3427日 / 手術から3509日


雨がベランダを叩く音が聞こえ始めた。
しんしんと降る冬の雨は
寒さが心身にしみわたるようで。


5ヶ月ぶりの投稿。



今年の5月でようやく術後10年を迎えることになる。
6年目くらいからがんセンターでの検診が半年ごととなっているが、
もし5月の検診で異常なければ、もう無罪放免となるのだろうか。
これから先他のがんも心配になってくるお年頃だし、
この悲喜こもごもを味わい尽くした思い出深い場所とさよならするのは
とってもさびしくもある。



森永卓郎さんが亡くなった。
病を押して執筆を続け、亡くなる前日にラジオに出演するなど、
自らの思いを最後まで発信し続けた。
「これを言わずに死ねるか」と、
死ぬことよりも、世の中に発信しないことを恐れたその使命感と剛胆さ。
まさに死さえ超越した生き方にただただ驚嘆するほかない。



ところで昨夜は、
今も敬愛してやまない先輩の3回目の追悼飲み会。
先輩のために大好きだったウィスキーのロックも注文し、
思い出話も肴にいっしょに楽しい時を過ごした。
その先輩もまた剛胆であった。
だが苦しい死の間際にあっても、
声にならない声で「ありがとう」と
最後の散り際まで家族に優しく感謝の思いを伝えながら旅立たれたという。



情けないが今の私では、
森永さんや先輩のような逝き方はとうていできない。
お二人の生前の生き方そのものがそのまま
かっこよくて素敵な逝き方となったいうことなのだろう。



どう散るかはどう生きたかに依るとするならば、
さあ、我が終盤戦をどう生きていくか。


今夜も酒を喰らいながら考えてみる。



さびしくもあり : 1072

8月26日(月)曇 退院して3268日 / 手術から3350日


パソコンの不調により、
以前の投稿からふた月半ほども経ってしまった。
また突然シャットダウンしてしまわないかと戦々恐々の投稿。



126年間でいちばん暑い7月を経験し、
最高気温は36度などというのが当たり前の夏。
想定外のことがもう普通のこととなり、
迫りくる台風10号による災害が心配だ。
どうか痛ましい光景を見ずに済みますように。



6月の末に、新しいギターを注文した。
使う部材をこちらから指定してのカスタムギターで、
中南米でしか採れないココボロという稀少材。
ハンドメイドなので納期は約半年後で、
手間のかかる分、当然値段も張る。


楽しみは楽しみなのだけれど、
その一方で、もうこんな贅沢は人生で最後だろうなと思うと、
人生の終焉へと思いは至り、一抹のさみしさを覚える。


下手なくせにそんな高いギター買って、、、。
そんな声も四方八方から聞こえてきそうだが、
人生最後の贅沢だからと自身で納得し励ますこの頃。



年末までには届くであろうその日に向けて、
新しい相棒に少しでもふさわしい技量を身につけようと
日々ほんの少しだけしんどい練習を課している。



楽しみだし
さびしいし。


お盆過ぎれば朝晩めっきり涼しくなっていたのは、もう遠い昔のこと。
心千々に乱れる猛暑の夏。


何もかもが、、、: 1071

6月14日(金)晴 退院して3195日 / 手術から3277日


夏に向かって暑くなりかけたなと
軽くため息などをついているうちに、
庭のシャラの木に涼やかな白い花がちらほらと咲き始めた。
別名は夏椿。
咲いているのは1日だけで、咲き終わると花首からぽとりと地面に落ちる。
桜以上に儚く哀しい花かもしれない。



若い頃貪るように読んだ島崎藤村を
何十年ぶりかに読みたくなって本棚から取り出したのが、
茶色く変色し、文字も薄れかかった「夜明け前」


「木曽路はすべて山の中である」
あまりにも有名な書き出しの部分。


大学2年生の夏休みだったか、親しい友人3人とともに車で旅し、
途中一泊の宿としたのが、木曽路最南端の馬籠宿にある民宿だった。
馬籠は言わずと知れた藤村の生まれ故郷。
その旅には、今手にしている「夜明け前」の文庫本を携えていた。


ひとり朝早く起き出し、
藤村も歩いたであろう人気のない宿場町を散策したことなどが思い出される。


ともに旅した友のうち、
ひとりは30を少し越えたばかりの時に、あまりにも突然に亡くなってしまった。
だからその友は、今も当時の若々しい青年のままの姿で私の中に在る。


そんな遠い思い出などもすべてひっくるめて鞄に詰めて、
また木曽路辺りへ旅したいもんだ。



この歳になると、
何もかもが色褪せた遠い思い出ばかりになっちまう。


はあ、思えば遠くへきたもんだ と。