tongue twister のブログ

平成27年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(笑)(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

Out of sight, out of mind ? : 1064

2月8日(木)晴 退院して3108日 / 手術から3190日


 暦の上では春ですが、、、。


 立春とは名ばかりの、、、。


 春浅く、、、。


そんな時候の挨拶が思い浮かぶ如月の頃。
音もなく粛々と降る冬の雨は、
身も心もしんしんと芯から冷えるようで、
しんみりと寂寥感が募る。




「去る者は日々に疎し」


親しかった人でも、離れて顔を合わせなくなると、
月日が経つにつれて疎遠になっていく。
また、死者は年月を経るに従って忘れられていく。


聞き慣れた言葉である。
そしてよく理解できるし、実際まったくその通りだと思う。



だが、そんなあまりにも知られた箴言に、
当てはまらない人もいるのだということを身を以てひしひしと感じている。


それが、一昨年の10月に逝った先輩だ。
お別れしてから記憶が薄まるどころか、
いなくなったが故に、より強くその存在が意識される瞬間がある。


そんなこともあるのだなと、
改めて先輩の在りし日々と人となりを思い起こす。
ああ、、、。



おそらくその魂はこれからも私の中で強烈にとどまり、
成長し続けるのだろう。


                            

発見すべき何か : 1063

1月24日(水)曇 退院して3093日 / 手術から3175日


目覚めてから何やら目映い気配に違和感を覚え、
カーテンを開けると一面の雪景色。
西風強く、瀬戸内海沿いの温暖なこの地域では珍しい寒々とした光景だ。
おかげで通常なら十数分の距離の歯医者へ行くのに、
40分もかかっちまった。


先週金曜は、一昨年の10月に亡くなった敬愛する先輩の追悼飲み会。
そしておとつい月曜は、愛知から帰省中の同級生との外吞み。
2月早々にも既に予定が入っている。
なんか酒ばかり喰らっているようだけれど、
楽しいから、それでいいのだ。
ただ、鯨飲すると睡魔に襲われるようになってきた。
悲しいけれど、そんなときに年齢相応に確実に衰えつつあることを実感してしまう。
2,3年前まではそんなことなかったのにな。




最近ある本の中で、次のような言葉に巡り合った。
「幸せや生きがいは、作りだすものであるよりも、
 すでにあって発見すべき何か」だと。
そして求めているものとの出会いは、かねて予想したように現れるとは限らず、
むしろ、それを大きく裏切るようなかたちで人生を横切ることがある、とも。


自分のこれまでのつまらない人生を顧みても、
幸福を告げ知らせる経験は、歓喜のうちに現れるとは限らず、
悲痛をともなう出来事のなかでかえってその存在を際立せるのではないか。


たとえば自身の経験で言えば、
生きる希望さえ失いかけていたあの苦しい絶望の淵にあった闘病中にこそ、
幸せとは何かを告げる糸口が、
いくつも転がっていたように今は思えてならない。



予想を大きくはずれたかたちで人生を横切るであろう
「発見すべき何か」との出会いを求めて
これからも旅は続いてゆく。


スポットライト : 1062

1月17日(水)晴 退院して3086日 / 手術から3168日


新年早々から芸能界の方々の訃報が立て続けに届き、
北陸では何千年に1度という大災害。
間髪入れず飛行場ではまるで映画のワンシーンのような惨劇。


どうかこれ以上の悲劇が繰り返されることのない穏やかな年でありますようにと
心から願うしかない。




昨年の木々が美しく色づき始めた頃から、
何に対しても以前のように熱を持って物事に取り組めない、
というどうにもつまらない状況が続いていたが、
ようやく気持ちが上向いてきた気がする。



大病以来8年半もの間、大過なく過ごせていられるではないか。
贅沢は出来ないけれど、欲しいものはある程度手に入れてきた。
小遣い程度の稼ぎにしかならないけれど、
これを人生最後の仕事としてもいいだろうと、
まあ自分なりに納得できるものに就けた。
酒も美味い。



この歳になりつくづく思う。
人生のどこにスポットライトを当てるかによって、
これまで過ごしてきた人生の見え方が違ってくるのだろうなと。


つらかった経験にばかり焦点を当てる人は、
つらい過去の持ち主になるだろうし、


ささやかな幸せに目を留める人は、
幸せな過去の持ち主になるだろう。



できるものならば残された我が人生、
ささやかな喜びや出来事に、
スポットライトを照らすものでありたいとひそやかに願っている。