通奏低音 : 1036
12月14日(水)曇一時雨 退院して2691日 / 手術から2773日
西高東低の気圧配置が容赦なくその本領を発揮している。
昨日夕方に吹き始めた風が夜半から凄まじくなり、
そのごうごうとうなる音に何度も目覚めた。
更には、昼前には強く降っていた雨が突然あられに変わり、
しばらくフロントガラスを激しく叩きつけた。
これから明日にかけても全国的に大荒れのようだ。
神無月最後の日に、
敬愛する方の訃報に接して後、
死生について、
とりわけ、どう生きそしてどう逝くか、
というようなことについてぼんやりと思うことが多くなった。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
『平家物語』の語り出しのあまりにも知られた部分だ。
「諸行無常」
人生のはかなさ、生命のもろさ、そしてときには死を意味する言葉として、
日本人の人生観や死生観にもなじみの深い言葉だ。
自分自身の人生観においても、
いつしかその4文字が主旋律とまではいかないが、
通奏低音として絶え間なく響くようになってしまっている。
だが、本来、諸行無常とは、
この世のものは絶え間なく変化し続けているという事実を、
ありのままに述べたもので、仏教の真理の一つなのだそうだ。
人が死ぬのも無常だが、生まれるのも無常、成長するのも無常ということ。
不幸な人が幸福に恵まれるのも無常なのだ。
万物は流転している。
だからこそ、
一刻一刻が貴重なのであり、
精一杯生きて限りある命を大切にしないといけないということ。
けっして、「無情」などではないのだ。