祈るということ : 1045
3月17日(金)雨 退院して2784日 / 手術から2866日
「祈る」ということについて、
もうひと月半も前に平戸や天草周辺の教会を巡り、
地元の人たちの飾ることのない素朴で敬虔な祈りの姿に接し、
加えて彼の地における壮絶な迫害の歴史にも触れ、
それ以来、あてどのない自問自答を繰り返している。
自他の幸福や安寧を願うこと。
そして神や仏といった人知の及ばないものと自身の中で繋がり、
精神の平安を獲得しそれを心の拠り所とすること。
祈るとは、言葉にすればそういうことなんだろう。
だが、今のところ神にも仏にも素直にすがれないでいる自分は、
いったい何を頼みとし、そして何を祈ればよいのだろう。
ただ自身や家族の健康と平穏な日々か?
それとも世界の平和か。
けれどそれは祈りと呼ぶには、余りにも軽薄できれいごと過ぎる。
人生も終盤戦故か、
残りの日々の有り様を模索し、
精神的な支柱を求めようとするこれまでにない自分がいる。
信じ頼るべき拠り所はどこに。
そして祈るとは、、、。
「信ずる者は救われる」
「鰯の頭も信心から」
そんな軽薄なことばでは済ますことのできないものを。