tongue twister のブログ

2015年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

そうする理由 : 1033

11月24日(木)晴 退院して2671日 / 手術から2753日


南に向いた和室の畳に寝そべり、読書三昧。
縁側のレースのカーテン越しに、柔らかく心地よい日差しが射し込む。


ここ数年、小説はあまり読む気にならなくて、
もっぱらエッセーばかりを好んで読んでいる。
少し前に、同郷の若い女性が芥川賞を受賞し何かと話題になっていたが、
若いときならまっしぐらに書店へと急いだだろうが、
今はまったく食指が動かない。


虚構世界に興味を失いつつあるということが
老化がもたらす変化のひとつであるとするならば、
詮無いことながら、そこはかとなく哀しい。



そんな中、今読んでいるのが『死ぬための生き方』
ある程度の老境に達したときに読もうと若いときに買い求めていた本だ。
発行年を見てみると、平成3年とあるから30年以上も前だ。
表紙はとうに色褪せ、中身も全体にセピア調に変色している。


人は生まれたその瞬間から死に向かって歩み出している。
だとするならば、
死を語ることは生を語ることに等しい。
そして、どう逝くかは、どう生きたかに依る。
死について思うことは、
どう生きるかという難解で壮大な問いに、
なんらかの示唆を与えることになるはずだ。



と、小賢しくも小難しいことを書き連ねているが、
何のことはない。
その本を読む理由ははっきりとしているのだ。


敬愛する先輩の死が、
そうさせているのだ。


先輩のように生きることは到底叶わぬことだけれど、
その悲しい別れをきっかけに、
必ず訪れるその時に向けて
ほんの少しだけ自身の死について考えてみたいと思ったのだ。




逝って早ひと月になろうとしてるが、
いまだその厳然たる事実を冷静に受け止めきれないままでいる。


そういうものになりたい : 1032

11月19日(土)曇 退院して2666日 / 手術から2748日


朝方は冷え込んだものの
心地よい日の光が差していたのに、
いつの間にやら空一面灰色に覆われてしまった。
愛車にまたがり紅葉を求めて山中に分け入ろうかと思っていたが、
曇天に気持ちが萎えてしまった。
カラスと近所の飼い犬の鳴き声が空しく住宅街に響く。



先月末に敬愛する先輩が逝ってのち、
その喪失感が日毎に募っていくようで。


誰からも慕われていた先輩と、
この方も私の先輩であるけれど、
私以上に多くの時間を共に過ごし深く親交のあった方が
故人の人間性を評して語られた言葉が印象深く脳裏を離れない。


 決して自慢しない
 人の話をしっかり最後まで聞く、という謙虚な姿勢
 常に相手の土俵で話し、決して自分の土俵に引き込むことをしなかった
 相手が嬉しかったことを伝えると、心の底から一緒に喜んでくれた
  
深い悲しみの淵にありながらも、
実に故人を冷静正確に言い得ているものだと、聞きながら感じ入ってしまった。
「最近は自分の土俵で自慢話する人多いが、それらを超越していた」とも。


なるほどな。
多くのファンがいたことも改めて納得でき、
自分もそういうところで強く惹かれていたのかと。 



ああ、在りし日の人懐こい笑顔や野太い声が思い出され、
ますます喪失感が募る。



すばらしい故人評を聞いて後、
先輩の笑顔を思い出すと
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節が常に思い浮かぶようになってしまった。
  
  そういうものに
  わたしは
  なりたい



巨星墜つ : 1031

11月4日(金)晴 退院して2652日 / 手術から2734日


スマホに元の職場の先輩の訃報を知らせるSNS が届いたのは、
この前の土曜日昼過ぎのことだった。


その翌日の日曜に、
家族親族だけでお別れの会をするというので
日が落ちて暗くなった頃に会場へ伺い、
最後のお別れをさせていただいた。
それ以来、先輩との想い出が頭の中を駆け巡り続けている。



他に迎合することなく、
自身の思うところに正直に人生を貫かれた方であった。
上には激しく、そして下には優しくこころ配りされるかっこいい人でもあった。
心から敬愛していたし、誰からも慕われていた。


長身ゆえに、棺の中できつ苦しそうに無言で眠る先輩の顔を眺めていると、
ありし日の諸々が思い出されて胸が苦しくなった。


無類の酒好きで、
週に6日は行きつけの店で鯨飲するという破天荒さ。
いっしょに飲んでは、
知らぬ間に皆の分まで勘定を済ませひとりほかの店へ、
などということも何度あったことだろう。


私のような者のことを
「ほんとうにいい男」だと誰彼になくよく言っていただけたことは、
そのときは気恥ずかしかったが、
今となってはまるで勲章のように思われる。


無宗教で、
「仏さんの弟子にはなりたくない」
との遺言も先輩らしく、お坊さんもいず、当然戒名もない。
祭壇にあるのは、先輩の手による書と絵画。
そして愛して止まなかった飲みかけのウィスキー瓶が。



偉大な先輩の訃報に接して思うことは、
もし自分が逝った後、
人の思い出の中にこんなにも鮮烈に生き続けることができるかと。
先輩の生き様なればこそだ。
我が人生の浅薄さにあきれ返るほかない。



十八番だった高橋真梨子さんの “for you” を歌う姿が目に浮かぶ。
  あなたが欲しい あなたが欲しい
         もっと 奪って 私を
              愛が すべてが欲しい



私の中の大きな星が墜ちてしまった。