tongue twister のブログ

平成27年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(笑)(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

鐘を打ち鳴らしつつ : 1038

12月22日(木)曇一時晴 退院して2699日 / 手術から2781日


   けうもまたこころの鉦を
   うち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く
                                     
                (今日もまた、巡礼者が鐘を鳴らすように                        
                           私も心の鐘を打ち鳴らしながら、あこがれの旅を行く)



若い頃、若山牧水のこの歌に妙に心惹かれたことを記憶している。


そしてこの歳になり先日改めて目にし、
若い頃よりも一層強く惹かれる自分がいることに気づく。



酒と旅を愛し、
人生の悲しさ、寂しさをありのままに晒して歌にした
漂泊の歌人牧水でさえも、
何かに憧れ続けながら旅していたということか。



何かに憧れを抱き続ける情熱は、
老境の入り口にあるが故に更にい思いは強くなり、
今でも決して失ってはいない。


何に対する憧れなのか。
何者に対する憧れなのか。
それさえはっきりとしない茫とした憧れ。


だが、憧れとは
つかめそうでつかめない、
そういうぼやっとしたものなのかもしれない。



これからも
牧水のように、
ナニモノかに憧れを抱き続ける人でありたい思う。


  

refrain : 1037

12月17日(土)雨 退院して2694日 / 手術から2776日


氷雨。
蕭々と降り続く冬の冷たい雨は、
身も心も芯から凍えるようで。



昨夜、
生前故人に親しくしていただいた者数人が集い、
「偲ぶ会」を開いた。


黙祷を捧げた後、
乾杯。
なんかこんなときに「乾杯」でいいのかと皆が疑問顔で、
乾杯の声にも力がこもらないのも微笑ましいが、
先輩はそんな些細なことを全く気にもされない方であった。
当然、遺影の横にも先輩が愛して止まなかったロックのウィスキー。


遺影の穏やかな笑顔が、
懐かしくも悲しい。



思い出話を肴に
弔い酒を飲み交わす。


先輩の死を厳然と受け止めきれず、
いまだに重いものを引きずったままであったけれど、
この集まりを境に、これで少し気持ちの区切りが出来た気がしている。
そもそもが、先輩との出会いは楽しくて幸運なものだったのだから、
思い出もいつまでも湿っぽくてはいけないのだ。



先輩のことを思う度に、
十八番だった “for you” が
頭の中で悲しい思い出として自動的に繰り返されていたけれど、
これからは懐かしくも楽しかったものとして
この先もずっとリフレインされていくことだろう。


 
  あなたが欲しい あなたが欲しい
  もっと奪って 心を


    

通奏低音 : 1036

12月14日(水)曇一時雨 退院して2691日 / 手術から2773日


西高東低の気圧配置が容赦なくその本領を発揮している。
昨日夕方に吹き始めた風が夜半から凄まじくなり、
そのごうごうとうなる音に何度も目覚めた。
更には、昼前には強く降っていた雨が突然あられに変わり、
しばらくフロントガラスを激しく叩きつけた。
これから明日にかけても全国的に大荒れのようだ。




神無月最後の日に、
敬愛する方の訃報に接して後、
死生について、
とりわけ、どう生きそしてどう逝くか、
というようなことについてぼんやりと思うことが多くなった。



「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
『平家物語』の語り出しのあまりにも知られた部分だ。


「諸行無常」
人生のはかなさ、生命のもろさ、そしてときには死を意味する言葉として、
日本人の人生観や死生観にもなじみの深い言葉だ。
自分自身の人生観においても、
いつしかその4文字が主旋律とまではいかないが、
通奏低音として絶え間なく響くようになってしまっている。


だが、本来、諸行無常とは、
この世のものは絶え間なく変化し続けているという事実を、
ありのままに述べたもので、仏教の真理の一つなのだそうだ。
人が死ぬのも無常だが、生まれるのも無常、成長するのも無常ということ。
不幸な人が幸福に恵まれるのも無常なのだ。



万物は流転している。
だからこそ、
一刻一刻が貴重なのであり、
精一杯生きて限りある命を大切にしないといけないということ。
 


けっして、「無情」などではないのだ。