tongue twister のブログ

平成27年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(笑)(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

人生初の入院 : 12

2015年4月24日


妻と2人で告知を受けた2日後、さっそく入院。


人生初の入院なので戸惑いはあったが、迷いはない。
何年間も1人で悩み続けてきたことの原因がはっきりとし、
進むべき方向が明確になったのだから。


衣類や洗面道具を取りそろえ、
BOOK-OFFで大量に本を買い込んだり
ネットでポータブルTV/DVDプレーヤーを注文したりと、
なかなか忙しい。


つらかったのはギターを持って行けないことで、
入院後様子を見てから、隠して持ち込もうかなどと真剣に悪巧みをしていた。
実際には手術からひと月半くらいは、
体がつらくてそれどころじゃなかったが。


それとギター以上にもっともっと悲しいことがありました。
それは、愛犬プーとのしばしの別れ。


彼にも分かるんですね、
いつもと違ってなんか雰囲気がおかしいなというのが。
家を出る前から、
悲しげな目つきをしてまとわりついて離れないんです。
これにはまいった。
あやうく泣きそうになりました。


                      

                                                                              


10時過ぎにがんセンター着。
入院手続きやらいろんな説明を受け、
左手首に入院患者用の白いリングをつけてもらい、
これでついに本当の入院患者に。

       

病室は有料4人部屋の窓側で、
部屋ごとに洗面所とトイレが通路側にあり、思っていたよりきれいだ。
インターネットのLANケーブル端子もある。
自分の記憶の中にあるきたなくて薄暗い病室とは違っていて、
病院も変わってきてるのだなと感心した。


食事も想像してた以上においしく、
暖かいものは暖かく、を心がけているとのこと。
手術に備えて、
落ちた体重を少しでも回復し体力をつけて欲しいとお医者さんから言われているので、
舌が痛くて食べるのがつらかったけれど、
昼、夜とも頑張って完食。


夕方になり病室で天井を眺めていると、
明るいうちは考えなかったことが次から次へと浮かんできて、
心細くなったり悲しくなったり情緒不安定。


プーにまた会えるかなあ、などと不吉な思いさえもちらつく。
テレビも見る気がせず、
かといって読書も進まない。


病室を出て、
7階廊突き当たりの窓から
暮れゆく西の空をいつまでも眺めていた。


  

光明 絶望から希望へ : 11

2015年4月22日


ステージⅣの告知を受けたものの、
「まだ打つ手はある」
というM先生のその一言に、
妻は目を輝かし、
そして自分は余命宣告の呪縛から、
本当に久しぶりに逃れることができたのだった。



手術やそれに伴う後遺症のこと、
そして長い入院になることなど具体的な話があり、
これは大変なことになるなあと漠然と驚き、恐れもしたが、
それでも治療によって
まだ生き長らえることができることの喜びの方が大きかった。


別室に移ってからの入院手続きの間も、
告知の際に妻を抱きしめ慰めてくれた看護師さんが、
我々を優しく笑顔で励ましてくれ、
明るい展望が開けそうで
思わず涙がひと筋ふた筋頬をつたって流れた。


人の優しさに触れ涙するなんてこと、
生まれて初めてじゃないかな。
逆に、自分の存在や言動が、他人に安堵の涙させたことなんて
これまでの人生で一度たりともなかったことに思いが至る。



さっそく2日後の24日に入院し、
 4月28日    胃ろう造設術
 5月10~16日  一時帰宅
 5月17日    再入院
 5月26日    手術          
ということが決まった。


   

運命の時 診断結果 : 10

2015年4月22日


初診から1週間後、正式な診断が下される日。
妻とがんセンターへ。


病状がかなり進んでいることは、
これまでの状況からも明らかであり、
「余命宣告」
もあり得るかもしれないと覚悟していた。


しかし、女性はやっぱり強い。
がんであることを告げた瞬間にあれだけ取り乱していた彼女が、
泣き明かした翌日にはもう既に、
「絶対治そう。私も気持ちを強くもって頑張るから、あなたもがんばろう!」
と力強く励ましてくれるのだ。


気持ちだけではどうにもならない現実もある、
と諦めつつあった一方で、
無理矢理にでも強く明るく前向きに振る舞おうとするその姿に、
深い感謝と、そして申し訳なさが混じって、
まっすぐに顔を合わせられない。



春の暖かい日差しの中を、
ゆっくりと進む。
高速を使わずにあえて下道を行く。
「アヴェ・マリア」
のオムニバス盤の音楽がゆったりと流れる。


今この瞬間が、永遠に続けばいいのに、、、、。



午後2時からの予約に、ほぼ時間通りに診察室に通される。
すでに椅子が2つ用意されており、
我々夫婦に相対する形で頭頸科部長のM先生と看護師さん。
そしてなぜか我々2人の後ろにも1人、
看護師さんが立っていた。    


着席してすぐに、M先生から
「悪性腫瘍、舌癌」
であることが冷静に淡々と告げられる。
しかも進行してかなり大きくなっており、
ステージⅣa であるとも。



妻、思わず両手で顔を覆い嗚咽する。
慰めようと妻の背中に自分が手を伸ばしたのとほぼ同時に、
後ろに立つ看護師さんが妻の両肩を抱きかかえ、優しく慰める。


そうか、このためにわざわざもう1人看護師さんがいたのか。
厳しくつらい現実を伝えることが多いであろう、
この病院ならではの行き届いた配慮だったのだ。  
ありがたい。



細かい話はあまり頭に入ってこず、
余命宣告も覚悟していただけに「これで終わったかな」
という思いだけが、ぼんやりとした頭の中を駆け巡る。


すまない、妻よ、息子よ、わんこよ。




だが、
絶望の淵に追いやられたそんな我々に、
M先生の短いたった一言がひと筋の光明を灯すことになる。


ステージⅣという難しい段階だけれども、
「まだ打つ手はある」 



その一言を聞いた瞬間に、私たちは顔を見合わせ、
奈落の底から
遙かかなたに希望の光を見たのだった。