入道雲 : 936
6月22日 (月) 曇後晴 退院して1767日 / 手術から1849日
梅雨の晴れ間。
山の上に覆いかぶさるようにモクモクと、あれは間違いなく入道雲。
そんなときは普通気温が上がりじめじめするものだが、
今日は湿度低くしのぎやすい。
大好きな夏が、またやってくる。
それにしても、
隣家の老齢のご婦人が見るテレビの音が、朝からずっと耳に突き刺さる。
落ち着いて読書もできやしない。
ここ数年次第にその音は大きくなりつつあり、
いつかはお願いしないといけないだろうな。
絶え間のない下品な大音量に朝から気分がささくれがちだったが、
何気なく手にした書籍の星野富弘さんの言葉を目にして
ふっと息が抜け気持ちが楽になった。
人は身体が不自由になったとき、心で生きる。
人は身体が動かなくなったとき、心で世界を見る。
心が身体のぶんまで生きるとき、心は言葉に魂を投影させる。
だからその言葉は、いのちの響きを持つのだ。
大病を得て後、
失ったものの大きさに愕然とし 茫然自失の日々があった。
だが不自由になった分、健常時に比べて、
ほんの少し心で生き、
ほんのわずかだけ心で世界を見られるようになったはずだった。
それが今はどうだ。
少し調子に乗ってはいないか。
発する言葉に、いのちの響きのかけらさえも、、、。
畳の上に寝転がり
真っ白なわき上がる入道雲を見上げながら
つらく苦しかった病院での日々などを思い返してみる。