tongue twister のブログ

平成27年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(笑)(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

エンドレス・エンドロール : 838

6月23日(日)曇  退院して1402日 / 手術から1484日


『野菜党』と名乗られる方がおられる。
いつもそのブログで、
思慮深く示唆に富むお話を聞かせていただいている。


特に、ご自身も病を抱えておられ、
医師から余命宣告さえも受けておられることもあり、
ご自身の闘病の実体験を経て紡ぎ出される死生観についてのお話は、
死の縁を垣間見た自分にとって、
考えさせられること多く必聴すべきものとしてある。



そんな野菜党さんが先週更新の、
「死が、残った者達に問うこと」
と題されたブログを読んで以来、
そのタイトルが頭の中をコロコロといつまでも転がり続けている。


※ 原文一部抜粋
「その死が、いったい自分に何を語りかけているのか、
    自分が産まれてからこれまでの人生の一幕として受け入れ、
    それが自分の人生を最も深く物語る出来事としてストーリー出来るならば、
    死に行く者達も、その物語に参加することでしょう。


  死は、残った者達が問われることなのだと・・・、」



そうだとするならば、
果たして自分の死が
どれほどの人に、どれほどのものを残すことができるのだろう。
そして残った者たちに
「何を語りかけ、そして問いかける」のか。


野菜党さんのお言葉によって
傲慢と言われようが、
「死」というとうてい理解、制御不可能なその暗闇の、
その何万分の一であるかもしれないが、
自分なりにその端緒をつかみかけた気がしている。


                                           


今も、終わりのないエンドロールのように、
「死は、残った者達が問われることなのだ」という言葉が、
頭の中でコロコロと転がり続けている。

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