tongue twister のブログ

2015年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

祈るということ : 1045

3月17日(金)雨 退院して2784日 / 手術から2866日


「祈る」ということについて、
もうひと月半も前に平戸や天草周辺の教会を巡り、
地元の人たちの飾ることのない素朴で敬虔な祈りの姿に接し、
加えて彼の地における壮絶な迫害の歴史にも触れ、
それ以来、あてどのない自問自答を繰り返している。


自他の幸福や安寧を願うこと。
そして神や仏といった人知の及ばないものと自身の中で繋がり、
精神の平安を獲得しそれを心の拠り所とすること。
祈るとは、言葉にすればそういうことなんだろう。


だが、今のところ神にも仏にも素直にすがれないでいる自分は、
いったい何を頼みとし、そして何を祈ればよいのだろう。
ただ自身や家族の健康と平穏な日々か?
それとも世界の平和か。
けれどそれは祈りと呼ぶには、余りにも軽薄できれいごと過ぎる。



人生も終盤戦故か、
残りの日々の有り様を模索し、
精神的な支柱を求めようとするこれまでにない自分がいる。


信じ頼るべき拠り所はどこに。
そして祈るとは、、、。


「信ずる者は救われる」 
「鰯の頭も信心から」
そんな軽薄なことばでは済ますことのできないものを。


   

渇望 : 1044

2月27日(月)晴 退院して2766日 / 手術から2848日


三寒四温を繰り返しながら
少しずつ春の足音が近くに聞こえるようになってきた。
来週には梅も満開の時を迎え、
微風にのって馥郁たる香りが漂うだろう。
夜桜ならぬ、夜梅を楽しみに出かけるのも一興か。
桜のような儚くも妖艶な見た目は期待すべくもないが、
夜の闇に漂う香を独り占めもいいものかもしれない。




九州の旅から戻ってきてはや2週間が経つ。
波風なく平凡に暮らせることこそが、
人生で最もありがたきこと。
それは分かる。


だが、何かが足りない。
刺激とか、緊張感だとか、非日常的なこととか。


やはり旅だな。
それも一人旅でないと駄目だ。


ある本の中の言葉が、ストンと腹に落ちる。
 「大事なことに気づくのは、
  いつも旅の途中だった。
  旅することで、
  自分が自分になっていく」
その通りだと思う。


旅にも苦労や不便なことはたくさんある。
感傷と孤独を嫌というほど味わうこともある。
だがそれらさえもが、
自身を飾ることなく見つめさせ、
そして平凡な日常の大切さに気づきを与えてくれる。


この歳になって「自分探し」もどうかと思わないでもないが、
若い頃に思う存分旅をしなかった反動なのかもしれない。


20代なかばで貪るように読んだ沢木耕太郎さんの「深夜特急」
今も私の中で、
旅への憧れをかき立てるバイブルであり続けている。


                

見果てぬ夢 : 1043

2月19日(土)雨 退院して2758日 / 手術から2840日


夜半から降り始めた雨がまだ降り続いている。
昼には止む予報だけれど、全くそんな気配が感じられない。
しとしとと降り続く冬の雨は、
身にも心にも寒々と感じられて、寂寥感が募る。



先週、1週間ほどの九州一人旅を終えて戻ってきた。


平戸や天草で訪れた教会では、幸運にも観光客はほとんどおらず、
ひとり佇み静謐で神聖な空間に身を置くことが出来た。
たまたま立ち会えたある教会の朝の礼拝での賛美歌に、
信者の人たちの敬虔な思いやこの地での弾圧の歴史になどに思いが至り、
心が打ち震えるような思いがした。


佐世保や天草の海岸線から眺める東シナ海の夕景は、
感動とともに、旅情と孤独感をかき立てるのに余りある美しさだった。
そして大自然はかくも壮大でかつ恐怖するものでもあった。


知覧特攻平和会館。
海の藻屑と消えた数多くの若者達の笑顔を見ているうちに、
いたたまれなくなり、胸が苦しくなった。
ここ知覧、広島と長崎、そして沖縄。
全ての人間がいちどは訪れるべき大切な場所だ。


大きな神社もいくつか参詣したが、
そういうところは観光客も多く、
自分の思い描く旅には馴染まないことを痛感する。


人生最大の喜びの一つである地方の町での居酒屋巡り。
天草、鹿児島、宮崎の夜にそれぞれ美味い酒を吞ませていただいた。
孤独と漂泊を気取った一人旅ではあるけれど、
一期一会であるが故に、
やっぱり人との触れ合いが尊くて嬉しいね。


旅の最終日に訪れた宮崎県日向市の海沿いの町、美々津。
「みみつ」という地名さえも美しく耳に優しく響く。
かつて江戸から明治時代に全盛を極め、
日向の国と京阪神との経済、文化交流の拠点であったという。
日が傾きかけた格子戸や白壁のある古い町並みをそぞろ歩く。
途中見かけた観光客は自分以外にたった2人だけ。
元気に鬼ごっこしていた子らが、追い抜きざまに大きな声で挨拶をしてくれる。
ああ、これが自分が追い求める旅の理想型か。
ノスタルジックで、ゆったりとした感触を与えてくれるもの。
旅への確信を得た思いがする。



総走行距離約2千キロ。
まだ旅の後の府抜けのような状態だが、
その一方ではや次の旅へとはやる気持ちがある。


中島みゆきさんの “ヘッドライト・テールライト” の旋律が流れる。
  
  行く先を照らすのは
  まだ咲かぬ見果てぬ夢
  遙か後ろを照らすのは
  あどけない夢
  ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない