tongue twister のブログ

平成27年5月26日、舌癌(StageⅣa)の手術(舌亜全摘・両リンパ節郭清・腹直筋皮弁による再建術)を受けました。ところが数日後の6月1日朝の診察で、まったくの突然に緊急再手術決定。なんと、最初の手術20時間、再手術13時間、計33時間(笑)(゜o゜;;

心身共に回復してきた今、それらの日々を振り返り、今度は私が誰かを励ますことができれば、との思いでブログ初挑戦です。 

まさかの10%が、、、: 24

2015年6月1日


衝撃の急展開。
「緊急手術」と聞いた瞬間、しばし思考力を失いました。


朝8時半の診察で、緊急手術決定。


原因は、移植した皮弁につないだ血管(これも左足からの移植)
血栓ができて血が流れなくなり、皮弁壊死を起こしたため。


そのことは術前に、
約10%の確率で起こりうるリスクのうちの一つ、
ということで先生から説明があったけれども、
でもそんな最悪のことがまさか自分に起こるとは思わないですよね。


ほんの5日前に、
20時間もの手術を受けたばかりなのに、、、。 
  
   ちっくしょー! ざんねんっ!!
                     


                  お気に入りの場所 干潮の加茂川河口 遠く今治や広島の島々


医師と看護師らがあわただしく準備をしているのを
なぜか冷静に横目で眺めていられたのが不思議だったけれど、
それでもまた手術と聞かされたときは、
あのつらかったICUの2日間のことなどが脳裏にちらつき
また振り出しなのかと思うと、
ふいに涙がひと筋ふた筋。  


しかしすぐに、
「ええい、もうどうにでもしてくれ」という風で
意外と落ち着いていられたのは、あとになって考えると、
もうほとんどやけくそだったのでしょう。


手術室へ向かう直前に手術の中心となる先生が
「つらいね。がんセンターの最高のスタッフと技術で頑張るから」
と声をかけてくれたことがとても心強かったです。


ストレッチャーに載せられて病室を出たとき、
見送る看護師さんたちに軽く手を振りました。
軽く笑顔も見せていたと思います。
でもなんだったのでしょうね、あの余裕めいた態度は。
今になってみると、
その時の自分をほめてやりたいくらいです。


頭頸科の看護師さんが手術室の入り口まで見送ってくれ、
麻酔の直前までいて励ましてくれたことが、
のちのちまでずっと記憶に残っていて
すごく嬉しかったです。

ICUから個室へ そして、、、 : 23

2015年5月26日~6月1日


正月気分も抜け、
やっと過去をたどる闘病ブログの再開です。



5月26日9時から27日5時までの約20時間にも及ぶ手術の後、
ICUに2日間。


とにかく
頭を動かせないことと息がしづらいことがつらく、
そして寝ても覚めても悪夢と妄想に苦しむ2日間でした。
朦朧とした意識の中にあっても「一刻も早くここを出たい」
と念じ続けていたのを覚えていますが、
痛み止めの作用か、あとのことはあまりよく覚えていません。


その後重症患者用個室に移動したのが5月29日。
その部屋は処置室の真ん前の部屋なんですね、やっぱり。


     

                                                        手術から2週間後くらいに撮った写真です


個室に移ってからも頭を動かしてはいけないのは変わりなく、
これはほんとうに精神的にもつらかったです。
目玉の動く範囲だけの視野というのは限られていて、
これがかなりのストレスとなるのです。
このことはあとで触れる幻覚と、絶対密接な関係があると確信しています。


あと、痰が飲み込めず、
溜まると息苦しさが倍増されてすぐに看護師さんを呼ぶことになるのですが、
同病の方が口をそろえて言われているように、
気管孔からの吸引がこれまたつらいのですね。
でもやってもらわないと、なお呼吸が辛いしで、
15分に一度くらいの頻度でナースコールを押していたように思います。
1日に3回担当が変わるのですが、
どの看護師さんも嫌な顔を見せず、本当にありがたかったです。


悪夢・妄想は相変わらずで、
頻繁にいろんな幻覚に苦しまされました。
どういう幻覚かはまた後に書くことになりますが、
「自分はこのまま精神を病んでいくのではないか」
と本気で不安に思ったほどでした。


体の状態はと言うと、
たくさんの管が繋がれており、全部で7,8本?
人造人間のようで、ほんとすごいことになっていました。

          

手術数日前に、術後はこんな感じです、と説明用のプリント ダミー人形がとってもおそろしげ(O_O)


のどは気管切開されて、
カニューレというものが挿入されています。
息がそこから抜けて声を出せなくなった自分、
というものをまだ受け入れられず、
そのこともあってストレスがますます溜まっていきます。


両足には、血栓防止のために電動のフットポンプ。
シューシュー音を立てながら、24時間休みなく足裏をモミモミしてくれてました。


妄想の原因にもなったのでしょうが
痛み止めのおかげで痛みというものはあまり感じず、
ただただ動けないことと息苦しさとの戦いでした。


そんな状況にあっても、
個室2日目には看護師さん2人に助けてもらって立ち上がり、軽くその場足踏み。
3日目の6月1日には歩行器にもたれかかり
必死になってよろよろしながらも診察室へ歩いて行くなど、
順調な回復ぶり、と誰もが安堵する中、
その朝8時過ぎの診察で、あまりにも突然に信じられないことが、、、


寝耳に水
  青天の霹靂
     急転直下
       ALL of a sudden
             自失茫然


そんなバカな!!


自分の耳を疑いましたね
その時ばかりは。


今からすぐに緊急手術


ですって \(◎o◎)/!

うれしかったこと : 22


  

                                 香川 満濃池公園のイルミネーション
      
うれしいことがあったので、
闘病ブログはもう1回先延ばし



先日、職場の元同僚Nさんが、
年末から年始にかけて行っていた信州へのスキー旅行のお土産を
わざわざもってきてくれました。


車のところへ出迎えに行くと、
奥さんと娘さんまでわざわざ車から降りて、
挨拶したり私の体をいたわってくださったり。



面倒なことは
避けますよね、ふつう。
がんにかかって会話が不自由なようなおっさんに、
高校生くらいの若い女の子は
わざわざ関わり合いたくないですよね。


自身がこういふうになってみると、
すごく敏感というか神経質になってしまうのです。
自分はめんどくさい存在で、
避けられているのではないかと。


だから、うれしかったのです。


ちゃんと自分に
向き合ってくれたことが。



だから自分も
逃げてちゃ
ダメだな。


          

                                  本場信州のりんご